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【動画】THE MANZAI 2023 マスターズの見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

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【動画】THE MANZAI 2023 マスターズの見逃し配信無料視聴方法!再放送は?

フジテレビで放送された人気バラエティ番組である「THE MANZAI 2023 マスターズ(ザ・マンザイ、ざ・漫才)」の見逃し配信を無料視聴する方法や、タイムテーブルや曲目を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やabema(アベマ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「THE MANZAI マスターズ」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。

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それでは「THE MANZAI マスターズ」について紹介していきたいと思います。

「THE MANZAI 2023 マスターズ」

アサヒビール スマドリ THE MANZAI 2023 マスターズ【漫才祭】
年に一度の超豪華な漫才の祭典が今年も開幕!名実ともに超一流の漫才師たちが一堂に会する3時間!今宵もどんな極上のネタが披露されるのか▼dボタンで豪華賞品
人気と実力を兼ね備えた漫才の名手(マスター)が一堂に会する、年に一度の漫才最高峰の祭典が今年も開催!!すっかり冬の風物詩となったこの祭典のMCを務めるのは、最高顧問のビートたけし、ナインティナインの岡村隆史、矢部浩之というおなじみの3人。この豪華MC陣が見守る中“THE MANZAIマスター”全23組が登場し、珠玉のネタを披露する。
昨年『M-1グランプリ2022』で涙の優勝を遂げたウエストランド、今年5月に開催された『THE SECOND〜漫才トーナメント〜』の初代チャンピオンに輝いたギャロップの2組が念願の『THE MANZAI マスターズ』初出場を果たすほか、中川家、アンタッチャブルをはじめとした賞レース歴代王者も続々と登場し、まさしく漫才界の最前線をひた走るトップランナーたちが大集結!
さらに、今年の“プレマスターズ勝ち抜き組”も気になるところ。『THE MANZAI 2023 プレマスターズ』の観覧投票で1位に選ばれた若手1組が、推薦枠としてマスターズに招待されるのだ。果たして、マスターズ行きの切符を手にするのはどのコンビなのか――。結果はマスターズの放送内で発表!

「THE MANZAI 2023 マスターズ」の出演者

【最高顧問】
ビートたけし 
【MC】
ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之) 
【進行】
佐久間みなみ(フジテレビアナウンサー) 

【マスターズ出場者】
アンタッチャブル、ウエストランド、海原やすよ ともこ、おぎやはぎ、かまいたち、ギャロップ、銀シャリ、サンドウィッチマン、霜降り明星、タカアンドトシ、千鳥、テンダラー、中川家、錦鯉、NON STYLE、博多華丸・大吉、爆笑問題、パンクブーブー、マヂカルラブリー、笑い飯、およびプレマスターズを勝ち抜いた1組 ほか 
※五十音順 

【プレマスターズ出場者】
カカロニ、からし蓮根、9番街レトロ、さすらいラビー、シンクロニシティ、素敵じゃないか、ダブルヒガシ、トンツカタン、パンプキンポテトフライ、ひつじねいり、フースーヤ、紅しょうが、豆鉄砲、まんじゅう大帝国、ミスター大冒険。、ヤーレンズ、ヨネダ2000、隣人 
※五十音順

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「THE MANZAI マスターズ」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組放送内容ついてはこちらから

「THE MANZAI マスターズ」の概要

「THE MANZAIマスターズ」は、2015年から、フジテレビ系列で特別番組として、毎年12月に年1回放送されている演芸バラエティ番組である。

2011年から2014年まで開催されていた、決勝戦が年末にフジテレビ系列で生放送されていた『日清食品 THE MANZAI 年間最強漫才師決定トーナメント!』のコンテスト形式と生放送を廃止し、1980年代の『THE MANZAI』のように漫才師が一堂に会する祭典的な収録番組として放送が開始された。

「日清食品 THE MANZAI 年間最強漫才師決定トーナメント!」は、2011年から2014年まで開催された吉本興業が主催する漫才のコンクール、また、決勝戦が年末にフジテレビ系列で生放送されていたお笑い演芸特別番組。

決勝大会の番組の正式タイトルは、2011年のみが『THE MANZAI 2011 〜年間最強漫才師決定トーナメント!〜栄光の決勝大会〜』、2012年から2014年は『日清食品 THE MANZAI 20○○(西暦年) 〜年間最強漫才師決定トーナメント!〜栄光の決勝大会〜』となっていた。

2010年まで若手漫才師のコンテストとして行われていた『M-1グランプリ』(朝日放送・テレビ朝日系列)の後継プロジェクトとして、1980年代に放送されていた『THE MANZAI』を復活させる形で開催された。

2014年をもって本大会『日清食品 THE MANZAI』は終了。

2015年からはテレビ朝日系列で『M-1グランプリ』が再び開催されており、漫才のコンテストはそちらに移行された。

従って、同年からは『Cygames THE MANZAI マスターズ』が放送されており、1980年代の『THE MANZAI』のように漫才師が一堂に会する祭典的な番組として放送されていて、収録放送となっている。

「THE MANZAIマスターズ」開始の前年までは、2010年を最後に終了した若手漫才師のコンテスト『M-1グランプリ』(朝日放送)に代わるコンテスト番組として『日清食品 THE MANZAI』(以下、前番組)が2011年から計4回開催されていた。

しかし、2015年より『M-1グランプリ』が再び開催されることが決定すると、その影響により一部出演者がコンテストとしての『THE MANZAI』は終了し1980年代のようなネタ見せ番組へ移行する事をほのめかす発言をするなど、このイベントそのものの開催自体も不明な状態が続いた。

その中で、冠スポンサーを日清食品からCygamesに変更の上、「年に一度の漫才師の祭典」としてリニューアルして開催することが決まり、総合司会は前番組に引き続きナインティナイン、そして前番組までコンテストの最高顧問を務めたビートたけしも本番組においても引き続き最高顧問として番組に携わることとなった。

番組タイトルも『Cygames THE MANZAI(西暦)プレミアマスターズ』(2018年は『Cygames THE MANZAI 2018 マスターズ』、2019年からはCygamesの冠が外れ『THE MANZAI(正暦)マスターズ』)に改題。

それ故に前番組とは違い、本番組では優勝者は決めず、番組の最後で司会のたけしの裁定により、最も面白い漫才を披露した出演者に「たけし賞」が贈られる(いわゆるMVPのようなもの、副賞等はなし)。

番組の冒頭では毎回、THE MANZAI最高顧問であるビートたけしによる開会宣言が行われているが、その内容は開会宣言というより、FNS27時間テレビでお馴染みの火薬田ドンのような、たけしによるミニコントとなっている。

また、番組から推薦を受けた若手漫才師が本番組への出演権をかけて競うコンテスト形式の『THE MANZAI(西暦)プレマスターズ』(関東ローカル)が事前に放送され、優秀者が本番組に出演することができる。

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「THE MANZAI マスターズ」の出演者

「ビートたけし」について

「ビートたけし」こと、北野 武は、日本のお笑いタレント・映画監督・俳優。1980年代初頭に起こった漫才ブームで、漫才コンビ・ツービートとして活躍した。社会風刺を題材としたシニカルな笑いで人気を獲得し、テレビ番組『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』などに出演し、それらも大ヒットした。1980年代後半からは俳優として映画やテレビドラマにも出演し、1990年代からは映画監督としても活動している。1989年の『その男、凶暴につき』で映画監督デビューし、『ソナチネ』(1993年)では世界的に高い評価を得た。1997年の『HANA-BI』ではベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した。

東京都足立区島根出身。東京都立足立高等学校を卒業し、明治大学工学部(現理工学部)機械工学科を除籍(のちに特別卒業認定)。東京芸術大学大学院映像研究科特別教授(2005年 - 2008年)。

タモリ、明石家さんまと共に、日本の「お笑いBIG3」として知られる。

映画監督時や『平成教育委員会』などの番組では本名の「北野武」名義を用い、その他の番組、映画で出演するときは芸名の「ビートたけし」でタレント活動している。これに関して、2010年5月9日放送の『平成教育委員会』にて、「アカデミックな場所では『北野武』または『マス北野』、芸人として出る時は『ビートたけし』で使い分けている」との旨を述べた。日本国外では基本的に本名である『Takeshi Kitano』だが、『Beat Takeshi Kitano』という、本名と芸名を併せた名義を使うこともある。また、絵画では「ビートたけし・北野武」名義を使用する。

落語立川流Bコースの一員で、高座名「立川錦之助」を持つ。近年は落語を口演する際、立川談春から一字もらい「立川梅春」を名乗っている。

生い立ち
塗装職人の父・北野菊次郎(1899年 - 1979年)と、母・北野さき(1904年 - 1999年)の四男(幼少時に早逝した兄が一人いるため、実質は三男として育つ)として生まれる。「竹のようにどんなものにも耐えてすくすく伸びてほしい」との願いから、「武」と命名された。

『平凡パンチ』1978年11月13日号のインタビュー記事では「浅草に生まれて、下町に育った」と語っており、1982年「週刊サンケイ」の小林信彦との対談でも「生まれたのは浅草(台東区)で、すぐ移って、物心ついた時には足立区にいたんです」と話している。

色白で細面、小柄だが俊敏で友人からは「ターチ」と渾名された。兄姉とは年が離れていたため、祖母の北野うしに非常に可愛がられて育った(家族構成は、「親族」節を参照)。母親からは厳しく接せられた。

高校時代まで
足立区立梅島第一小学校に入学。教育熱心だった母の薫陶が功を奏し、成績は優秀で、特に算数と図画工作が得意だった。

小学校卒業後は、母親が進学校を希望したため、近隣の中学ではなく、遠く離れた足立区立第四中学校へ越境入学した。

中学校卒業後は東京都立足立高等学校に入学した。

小学校から中学校、高等学校にわたって野球部に所属(高校では軟式野球部)したが、高等学校在学中にヨネクラジムでボクシングも習っていたという。

なお、演芸場時代は、漫才師の野球チーム「メダトーズ」に加入していた。また未成年時代に飲酒していたことも自身の著書で明かしている。

大学時代
1965年に高校を卒業し、母親の薦めで、明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学した。

しかし大学での生活には適応できず、五月病を患うようになり、大学2年の時には、家出同然に一人暮らしを始め、東京都新宿区の界隈で当ての無い日々を送るようになる。

学生運動にも参加したが熱心ではなく、ジャズに傾倒する。「LeftyCandy」や「新宿ACB(アシベ)」、名曲喫茶「風月堂」などに入り浸った。また、ジャズ喫茶のボーイもしていて、ジャズの見識は一部で有名であった。東京都新宿区にあるジャズ喫茶「ビザール」では、若松孝二、小水一男らと知り合う。また「ビザール」のボーイの後輩に萩原朔美がいた。ヴィレッジヴァンガードで、遅番のボーイとして働いていた時は永山則夫が早番のボーイとして働いていた。「ジャズ・ビレッジ」の壁に書かれていた文章「強く生きよと母の声、死ねと教えし父の顔、何のあてなき人生なり」が心に残ったとのこと。

この頃は青春の葛藤期でもあり、友人の下宿に居候しアルバイト三昧だった。ジャズ喫茶のボーイ以外に、菓子の計り売り、実演販売員、ビルの解体工、クラブのボーイ、東京国際空港での荷卸し、タクシー運転手、ガソリンスタンド店員を転々とする。東京国際空港の荷役作業ではジャズ喫茶の常連客だった中上健次が先輩におり、共にガルーダ・インドネシア航空の荷役として働いていた。後に通訳になろうと思い立ち、留学費用を稼ぐ目的でタクシーの運転手を務めるも半年で退社、ガソリンスタンドでアルバイトをした。この間、若松との縁で『新宿マッド』『腹貸し女』など、幾つかの若松プロ初期作品に端役ながら出演したり、学生演劇に参加したが、ヴォードヴィルのような軽演劇で、舞台役者ではなく構成に携わっていた。

大学は140単位のうち106単位まで取得していたにもかかわらず、結局通学せずに除籍になった。その後、2004年9月7日には明治大学より「特別卒業認定証」(明治大学独自の制度であり、法的な大学卒業とは異なる)及び知名度アップに貢献したとして「特別功労賞」を受賞。

前座時代
学生運動が収束に向かったこともあって、自身も去就を模索する必要に迫られた。芸能に興味はあったが、アングラ演劇には馴染めず、「理工系なので文学的なものはわからない、しかし演芸なら自分にも理解できるだろう」という理由で、いつしか芸人を志望するようになった。ただ、子供の勉学に厳しく大学にまで入らせて芸人の道を志した息子に、母は怒り嘆き、子供の頃から厳しい勉強を強いられて窮屈な思いをしていた武は、これに猛反発。北野家においても、近所の体裁を考えて「芸人を目指した北野家の武」という存在は無かった事になっていた。

1972年夏、東京都台東区浅草にあるストリップ劇場の浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイを始める。当時、たけしと思しき人物を見た井上ひさしは「不機嫌そうな青年」と、その印象を述べている。やがて、同劇場の経営者兼座長であった深見千三郎に師事し、前座芸人・北千太としてコント(軽演劇)を学ぶ。初舞台は、痴漢のコント。幕間コントに出演して腕を磨き、芸人としてタップダンスの修業にも励む。座員の多くが深見を近付き難い存在として見ていたが、たけしは物怖じしなかったため、深見から気に入られた。ただ、深見は一般の場所でも唐突にギャグ(ボケ)を連発、間髪入れずに師を即興で罵倒という技術を仕込まれ、この特異な芸の仕込みに北野は深見に四六時中振り回される形となり芸を習得、模索する事になる。この指導もあり、舞台ではアドリブを駆使し、言葉の拾い方に独特の斬新さがあったため一目置かれ、後に誕生する漫才コンビ・ツービート独自の芸風の基礎として取り入れられ漫才ブームで駆使し一気に開花する。当時は、フランス座の四畳間の屋根裏部屋で寝泊りをしていた。

長じて、フランス座の新人芸人とコントコンビを組むことを考える。舞台(コント)が活動の主軸を旨としていた深見は、漫才での活動を望んだ弟子の北野を即刻破門(後に解除)、漫才を主軸に活動の場を放送媒体に移す。

ツービート結成
コントでの芸能界デビューを模索した一方、フランス座に出入りしていた2年先輩の兼子二郎(のちのビートきよし)から漫才コンビを組むよう誘いを受けた。コントにこだわったたけしは漫才に慎重だったが、当時フランス座は経営難で、給料の支払いすら事欠くようになっていたことや、コントコンビを組む予定だった相方の病気もあり、また、背広一つで稼ぐことができる漫才に魅力を感じていたことから、松鶴家千代若・千代菊門下の漫才コンビ「松鶴家二郎・次郎」の次郎として舞台に上がることを了承した。深見からは引き続きフランス座の屋根裏部屋で住むことが許された。

当初は兼子がツッコミの正統派の掛合い漫才で全く芽が出ず、フランス座にいた頃よりも貧窮した。きよしが一時コロムビア・ライトの付き人をして生活を凌いでいたため、その縁で空たかし・きよし(コロムビア・トップ・ライトの一門は皆「青空」の家号を名乗るが、片方だけが弟子なので「空」だけとなった)と名乗って興行に出たこともあった。また、当時はツッコミ担当で、ネタはきよしが作成していた。東京都外のキャバレー周りの営業なども行ったが、たけしは酔客相手の仕事を嫌い、出番をすっぽかしたり、酩酊して舞台に上がることが多かった。また店を誹謗したり客やホステスに喧嘩を吹っ掛けため度々舞台から降ろされた。そのため兼子は場繋ぎに使う奇術ネタを用意していたという。そしてこの頃から「暴走ネタ・危険ネタ」へシフトしていき、ボケとツッコミの役割も入れ替わった。

紆余曲折の後、2人はコンビ名を「ツービート」へと変更し、たけしは「ビートたけし」、兼子は「ビートきよし」を芸名とした。

その頃、大阪府で頭角を現して来たB&Bのスタイルに触発され、ツービートもスピードを早めて喋りまくるスタイルへ変貌した。それに呼応するように、服装もタキシードに蝶ネクタイからアイビー・ルックへ変更することで、古臭い漫才師の様式から脱却を図った。当初ツービートは、代演で松竹演芸場の舞台に上がっていたが、支配人に認められてからは出演回数も安定するようになる。毒舌の限りを尽くした掟破りのたけしのツッコミネタもさることながら、ボーイズグループの楽器を拝借して現れたり、座布団の上に座って漫才を行ったり、型破りな舞台が多いため、他の芸人が観に行ってしまうので「ツービートが漫才を始めると楽屋が空っぽになる」と評判になった。

漫才ブームまで
演芸場での人気とは裏腹に、その破壊的な芸風は一部の関係者に受け入れられず激しい抑圧を受け、漫才協団から脱退を求める声すら起きたという。1976年協団が主催するNHK新人漫才コンクールにツービートは3年連続で出場したが最優秀賞を獲得することは出来なかった。

1978年、東京都新宿区高田馬場にある芳林堂書店前で持ちネタの全てを披露する「マラソン漫才・ツービート・ギャグ・デスマッチ」なる漫才ライブを開催したが、この企画をした高信太郎との繋がりでたけしも、高平哲郎や赤塚不二夫、タモリなどと一時期交友関係を持った。その後、「酒を飲んで軽いジョークを言いあったりする、あのシャレた笑い」が肌に合わず、自ずと距離を置くこととなった。

1979年、女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキと結婚。千葉県銚子市にある犬吠埼にて新婚旅行、東京都葛飾区亀有のアパートで生活を始める。

9月12日、父の菊次郎が死去。

11月、『花王名人劇場』(関西テレビ 企画:澤田隆治)において、人気落語家・月の家円鏡(8代目・橘家圓蔵)の共演者に抜擢される。古典派から「邪道」と言われた円鏡と、「邪道漫才師」ツービートを競演させ、「円鏡 VS ツービート」と銘打って放送されたこの企画が好感触を得たことで、「花王名人劇場」での「激突!漫才新幹線」制作への布石となり、後の漫才ブームへ繋がった。

漫才ブーム
1980年からの漫才ブームでは、ツービートは毒舌漫才と毒舌ネタを売り物に、B&Bやザ・ぼんち等と共に一躍知名度を上げた。

速射砲さながらに喋りまくるたけしのスタイルや、金属バット殺人事件や深川通り魔殺人事件といった時事性の高い話題をいち早くギャグに取り入れる「不謹慎ネタ」は「残酷ギャグ」等と批判を受けることもあったが、たけしは「たかが漫才師の言う事に腹を立てるバカ」と言ってのけた。日本船舶振興会の広告を皮肉って作られた「注意一秒ケガ一生、車に飛び込め元気な子」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にちゃんと絞めよう親の首」「赤信号みんなで渡れば怖くない」「少年よ大志を抱け。老人よ墓石を抱け」等の一連の標語ネタは「毒ガス標語」と言われ、ブーム初期の定番ネタとなった。

1980年6月、ネタ本『ツービートのわッ毒ガスだ』を発刊し、年末までに約85万部の売上となったが、当初事務所側はせいぜい3万部程度の売り上げと見込み、印税全額を2人が受け取る契約を結んでいたため、大金が転がり込んだという。

この時期に、ツービートとして出演していた『スター爆笑座』(TBS) の初代司会であったせんだみつおと楽屋で雑談中に、たけしの代表的ギャグとして知られる「コマネチ!」のギャグが生まれた。

1980年10月、昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)で、ツービートは火曜日のレギュラーとなった。1982年10月、ブームの終焉と共に番組も終了したが、最終回でたけしは客に対し「何でもゲラゲラ笑いやがって! 本当はお前らみたいな客、大っ嫌いだったんだよ!」と語った(なお、フジテレビからオファーのあった後番組の司会をたけしは断り、代わりに『森田一義アワー 笑っていいとも!』が開始された)。

1982年の夏にはブームは完全に終息し、たけしは「ツービートのたけし」としてではなく「タレント・ビートたけし」として、この頃以降は、単独で司会をする番組を多く持つようになるなどしていった。

漫才ブーム以後
漫才ブームを生き残ったたけしは、自身のスタイルを大きく転換させる。毒舌家というパブリックイメージはそのままに、ネタに依存する消耗度の高い喋りを捨て、パーソナリティを軸とした芸風に移行していく。

1981年元旦からニッポン放送・NRN系のラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』、同年5月からフジテレビ系の『オレたちひょうきん族』がそれぞれ開始される。

1982年から1984年にかけて、番組出演中に弟子志願者(正式な門下は取らない主義の為「ボーヤ」と呼ばれる)が押しかけ、相当の数が集まった事(たけし軍団)から、集団で行うバラエティを模索。日本テレビ『スーパージョッキー』、TBS『笑ってポン!』等が始まった。また、博識が評価されて、毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』等で文化人的な出演要請も増えた。

スーパージョッキー(日本テレビ)
天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ)
ビートたけしのスポーツ大将(テレビ朝日)
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城 (TBS)
OH!たけし(日本テレビ)
世界まるごとHOWマッチ(毎日放送)
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
オールナイトニッポン(ニッポン放送)
上記は、1985年当時のレギュラー番組すべてであるが、このうち日本テレビ、テレビ朝日、TBS、フジテレビの20時台番組ですべて最高視聴率をマークした。なお、『たけし城』『元気』『スポーツ大将』は、全て実質ビートたけし本人の企画・構成によるものである。

その他、放送以外に歌手としてのレコードリリースとライブ活動、文学小説の出版、ファミリーコンピュータのゲーム企画も行った。この頃より、タモリ・明石家さんまと共に、「日本のお笑いタレントBIG3」と称されることとなった。

1986年12月、北野が交際していた女性へ、講談社の週刊誌「FRIDAY」の記者が強引な取材によって傷害を与えた。その報復として北野はたけし軍団の一部の軍団員とともにFRIDAYの編集部を襲撃し、住居侵入罪・器物損壊罪・暴行罪の容疑で警察に現行犯逮捕された。この事件によって写真週刊誌の行き過ぎた取材が問題視され、当時の内閣官房長官が言及するなどの社会現象になった。

1994年8月、バイクによる自損事故を起こし、頭部に重傷を負った。その際、倒れていた北野を発見して救護したのが、偶然通りかかった光GENJIの諸星和己だったという。

近年は漫才を披露する事は少なくなったが、かつてはTVでは島田洋七との「B & Beat」で、稀に弟子のライブに飛び入りで相方ビートきよしとの「ツービート」として、漫才を披露することがある。

2014年10月27日、約30年ぶりとなる単独ライブを渋谷のCBGKシブゲキ!!にて開催。ライブのタイトルは「たけしが毎週ニュースキャスターの楽屋で、朝ズバッ!なんかで使ったパネルを勝手に拝借して、イタズラ書きをしてはニュースキャスター後のS1でTBSに来ていた、爆笑問題田中の楽屋にそっと置いていたパネルが溜まったのでテレビでお披露目しようとしたら、何処の局からも相手されなくて、仕方なくLIVEでお披露目することになった、たけし的スライドショーなLIVE」。約200席のプレミアライブは約1分で即完売となった。

映画監督としての経歴
『その男、凶暴につき』(1989年)は、監督:深作欣二 主演:ビートたけしで映画化を予定し、配給の松竹は両者の間で交渉を進めたが、スケジュールや条件で合致せず、深作が辞退した。そこで松竹は人物的魅力と話題性から、たけし(以下、映画の項目では映画監督での活動名(本名)での「北野」で表記)に監督を依頼したところ、テレビの仕事と両立させることを前提として承諾。1週間おきの撮影という珍しい形態が採用された。映画監督・北野武としてのデビュー作『その男、凶暴につき』は、1989年に予定通り公開された。この時のことを後年関根潤三の著書の推薦文で「(映画監督について)あんなに大変な仕事はあるのかと思った。」と述べている。

その後、1990年に公開された監督2作目となる『3-4X10月』からは脚本も兼任し、映画監督としての本格的な活動を開始する。興行的成功は中々出なかったが、黒澤明や淀川長治、蓮實重彦といった日本映画の重鎮からは作風を高く評価される。また、1993年の『ソナチネ』ではカンヌ国際映画祭「ある視点」部門やロンドン映画祭に招待され、海外でも高い評価を獲得する。

1996年には『キッズ・リターン』を発表。バイク事故からの復活を印象付け、カンヌ国際映画祭監督週間部門にも招待される。

1997年、映画『HANA-BI』が、第54回ヴェネツィア国際映画祭で日本作品として40年ぶりとなる金獅子賞を受賞した。発表直後、北野は「異分野出身者でも大きな賞を取れると示すことができ、これから映画を目指す者に刺激になったと思う」と語った。授賞式では「今度またイタリアと組んでどこか攻めよう」「Let's try again with Italia and go to some country to war」と日英両語でスピーチ。帰国時の記者会見で、現地の土産物屋で購入した金獅子像のミニチュア(約280円)を披露して、笑いをとった。

第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式参加した映画『菊次郎の夏』で、約5分間のスタンディングオベーションを受けた。

2003年には『座頭市』が第60回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に出品され、監督賞にあたる銀獅子賞を受賞。更に北米最大の映画祭であるトロント国際映画祭でも最高賞にあたる観客賞を日本映画として初めて受賞し、北野映画としては異例となる国内外でのヒットを記録した。

2005年4月、フランスの『カイエ・デュ・シネマ』創刊600号記念号の特別編集長を務める。カイエ・デュ・シネマは300号から100号毎に映画人を編集長に招いて記念号を発行しており、過去に記念号の編集長を務めた映画監督は、ジャン=リュック・ゴダール(300号)、ヴィム・ヴェンダース(400号)、マーチン・スコセッシ(500号)などがいる。

2005年4月、東京芸術大学で新設された大学院映像研究科の特別教授および映画専攻長に就任(〜2008年。なお、監督領域の教授は北野と黒沢清の2名)。北野大も淑徳大学教授であったので、兄弟で教授となった。

2007年5月、カンヌ国際映画祭60周年特別記念企画「To Each His Own Cinema」(それぞれのシネマ)に世界5大陸25ヶ国から選出された35名の著名な映画監督の中で唯一の日本人として名を連ねた。

2007年8月、第64回ヴェネツィア国際映画祭にて、北野の映画監督作『監督・ばんざい!』に基づき「監督・ばんざい!賞」が新設され、表彰式に出席した。

2008年6月19日、第30回モスクワ国際映画祭で「特別功労賞」 (Life-time Achievement Award) を受賞。2003年の新藤兼人に次ぐ2人目の日本人受賞者となった。20日の会見では「ロシアの人は自分(北野)を過大評価している」「数々の芸術家が出ているロシアで表彰されるのは恥ずかしい」と語った。

2010年3月9日、フランス芸術文化勲章の一つであるコマンドゥール章を受章。13日の帰国会見では勲章の披露の前に、自身が作った「バンクーバー」と書かれた金メダルを出すボケを行い、笑いをとった。

2011年秋公開予定だった『アウトレイジ2』について「宮城県」でクランクインの準備をしていたら「東日本大震災」に遭遇しロケが取り止めとなり「6000万円以上損害が出た」と語っている。なお『アウトレイジ2』は、舞台を神戸市に移して『アウトレイジ ビヨンド』として、2012年10月6日に公開。

2016年、アカデミー賞を主催する米映画芸術科学アカデミーよりライター部門での会員候補に選定された。

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「THE MANZAIマスターズ」のこれまでの放送内容

「THE MANZAIマスターズ」第1回(2015年)

フジテレビ系列にて2015年12月20日19:00 - 21:54に『Cygames THE MANZAI 2015 プレミアマスターズ』として放送。

前番組までの日清食品に代わりCygamesが冠スポンサーとなる。

内容は前番組のコンテスト形式から一新され、“年に一度の漫才の祭典”となった。

このプレミアマスターズの出演者は「人気実力ともに最高峰の選ばれし漫才の名手”THE MANZAIマスター”」と称されており、出演が決まると上記注釈の通り番組特製のマスターバッジ(前番組の認定バッジと同じ物)と、ガラス板に封入された招待状(形状は前番組の横長から縦長に変更され、ガラス板のサイズも大きくなった)が贈られる。

12月20日放送の本編には主に招待組である中堅・ベテラン勢の人気漫才コンビが出演したほか、12月12日15:35 - 17:30に若手漫才師が出演する『THE MANZAI 2015プレマスターズ』が放送された。

プレマスターズはプレミアマスターズの予選会的な位置づけであり、「実力と勢いのある漫才師」としてTHE MANZAI実行委員会が推薦した20組の若手漫才師がプレミアマスターズの出演権を争った。

「THE MANZAIマスターズ」第1回(2015年)出演者

フットボールアワー
タカアンドトシ
トレンディエンジェル
ブラックマヨネーズ
ナイツ
NON STYLE
博多華丸・大吉
海原やすよ・ともこ
笑い飯
メイプル超合金
サンドウィッチマン
三四郎
おぎやはぎ
キャイ〜ン
ますだおかだ
チュートリアル
パンクブーブー
ハマカーン
ジャルジャル
ウーマンラッシュアワー
矢野・兵動
中川家
爆笑問題

「THE MANZAIマスターズ」第1回(2015年)プレマスターズ出演者

アキナ
ウエストランド
エレファントジョン
オジンオズボーン
学天即
銀シャリ
三四郎
三拍子
磁石
ジャイアントジャイアン
ジャルジャル
湘南デストラーデ
笑撃戦隊
タイムマシーン3号
トレンディエンジェル
ニューヨーク
馬鹿よ貴方は
POISON GIRL BAND
メイプル超合金
和牛

「THE MANZAIマスターズ」第2回(2016年)

フジテレビ系列にて、2016年12月18日19:00 - 21:54に『Cygames THE MANZAI 2016 プレミアマスターズ』として放送。

このほかに、12月10日13:30 - 15:00にマスターズの予選会的番組として、『Cygames THE MANZAI 2016 プレマスターズ』が放送された。

「THE MANZAIマスターズ」第2回(2016年)出演者

タカアンドトシ
トレンディエンジェル
笑い飯
タイムマシーン3号
ウーマンラッシュアワー
矢野・兵動
トット
フットボールアワー
ますだおかだ
キャイ〜ン
銀シャリ
千鳥
スピードワゴン
ナイツ
ハマカーン
サンドウィッチマン
チュートリアル
博多華丸・大吉
海原やすよ・ともこ
パンクブーブー
おぎやはぎ
ミキ
中川家
爆笑問題

「THE MANZAIマスターズ」第2回(2016年)プレマスターズ出演者

アインシュタイン
オキシジェン
銀シャリ
コマンダンテ
さらば青春の光
三四郎
笑撃戦隊
セルライトスパ
タイムマシーン3号
トット
とろサーモン
錦鯉
ニューヨーク
馬鹿よ貴方は
ミキ

「THE MANZAIマスターズ」第3回(2017年)

フジテレビ系列にて、2017年12月17日19:00 - 22:54に『Cygames THE MANZAI 2017 プレミアマスターズ』として放送。

ほかに、12月9日14:00 - 15:25にマスターズの予選会的番組として、『Cygames THE MANZAI 2017 プレマスターズ』が放送された。

「THE MANZAIマスターズ」第3回(2017年)出演者

NON STYLE
フットボールアワー
とろサーモン
トレンディエンジェル
千鳥
テンダラー
サンドウィッチマン
タカアンドトシ
矢野・兵動
キャイ〜ン
銀シャリ
海原やすよ・ともこ
流れ星
和牛
ジャルジャル
ナイツ
博多華丸・大吉
おぎやはぎ
パンクブーブー
ウーマンラッシュアワー
ハマカーン
笑い飯
チュートリアル
中川家
爆笑問題

「THE MANZAIマスターズ」第3回(2017年)プレマスターズ出演者

アキナ
尼神インター
ウエストランド
Aマッソ
かまいたち
カミナリ
三四郎
霜降り明星
ジャルジャル
タイムマシーン3号
トット
流れ星
ミキ
和牛

「THE MANZAIマスターズ」第4回(2018年)

フジテレビ系列にて、2018年12月9日19:00 - 22:54に『Cygames THE MANZAI 2018 マスターズ』として放送。

ほかに、12月1日14:00 - 15:25にマスターズの予選会的番組として、『Cygames THE MANZAI 2018 プレマスターズ』が放送された。

「THE MANZAIマスターズ」第4回(2018年)出演者

霜降り明星
NON STYLE
チュートリアル
トレンディエンジェル
流れ星
海原やすよ・ともこ
タカアンドトシ
サンドウィッチマン
ミキ
インディアンス
テンダラー
銀シャリ
パンクブーブー
博多華丸・大吉
千鳥
ナイツ
笑い飯
おぎやはぎ
ウーマンラッシュアワー
ハマカーン
矢野・兵動
笑い飯
とろサーモン
中川家
爆笑問題

「THE MANZAIマスターズ」第4回(2018年)プレマスターズ出演者

アインシュタイン
インディアンス
三拍子
霜降り明星
トット
プリマ旦那
まんじゅう大帝国
ミキ
ゆにばーす
四千頭身
和牛

「THE MANZAIマスターズ」第5回(2019年)

フジテレビ系列にて、2019年12月8日19:00 - 22:54に『THE MANZAI 2019 マスターズ』として放送。

ほかに、11月30日15:30 - 16:30にマスターズの予選会的番組として、『THE MANZAI 2019 プレマスターズ』が放送された。

この回よりCygamesの冠が外れ、カルピス(アサヒ飲料)を筆頭とする複数社提供となった。

なお、最高顧問のビートたけしは裏番組出演の為、20:00頃 - 20:45頃まで途中退席した。

「THE MANZAIマスターズ」第5回(2019年)出演者

サンドウィッチマン
ナイツ
銀シャリ
流れ星
パンクブーブー
海原やすよ・ともこ
テンダラー
博多華丸・大吉
霜降り明星
NON STYLE
スピードワゴン
和牛
笑い飯
とろサーモン
ウーマンラッシュアワー
プラス・マイナス
インディアンス
タカアンドトシ
アンタッチャブル
おぎやはぎ
千鳥
中川家
爆笑問題

「THE MANZAIマスターズ」第5回(2019年)プレマスターズ出演者

アインシュタイン
EXIT
インディアンス
ジャルジャル
スーパーマラドーナ
タイムマシーン3号
トム・ブラウン
納言
プラス・マイナス
まんじゅう大帝国
宮下草薙
四千頭身

「THE MANZAIマスターズ」第6回(2020年)

フジテレビ系列にて、2020年12月6日 19:00 - 21:54に『THE MANZAI 2020 マスターズ』として放送。

ほかに、12月5日 16:30 - 17:30にマスターズの予選会的番組として、『THE MANZAI 2020 プレマスターズ』が放送。

「THE MANZAIマスターズ」第6回(2020年)出演者

アンタッチャブル
ウーマンラッシュアワー
海原やすよ ともこ
おぎやはぎ
かまいたち
銀シャリ
サンドウィッチマン
霜降り明星
タカアンドトシ
千鳥
テンダラー
とろサーモン
ナイツ
中川家
NON STYLE
博多華丸・大吉
爆笑問題
パンクブーブー
ブラックマヨネーズ
ミルクボーイ
和牛
笑い飯

「THE MANZAIマスターズ」第6回(2020年)プレマスターズ出演者

インディアンス
オズワルド
からし蓮根
すゑひろがりず
ニューヨーク
まんじゅう大帝国
ミキ
見取り図
四千頭身
ラランド

「THE MANZAI2021マスターズ」たけし、あのコンビのネタを絶賛

タレント、ビートたけし(74)が5日放送のフジテレビ「THE MANZAI 2021 マスターズ」(後7・00)に出演し、お笑いコンビ「かまいたち」の漫才を絶賛した。

「爆笑問題」「アンタッチャブル」「サンドウィッチマン」ら人気・実力を兼ね備えた漫才の名手たち22組と、「THE MANZAI 2021 プレマスターズ」を勝ち抜いた「ミキ」を含む23組がネタを披露した。たけしは、番組最高顧問として各組をチェック。「千鳥」に対して「本当くだらねぇ芸だろう、普通だったらバカなことやってんじゃないって言うんだけど、いつの間にか巻き込まれてんだよな」とコメントし、高評価だ。「中川家」には「あのお兄ちゃん(剛)のボケ、本当好きだな。こうくるって大体分かっているんだけど。いや~、おかしいわ」と笑顔を浮かべた。

出演者の中から「最高の中の最高」と評価する「たけし賞」を発表するシーンでは、「かまいたち」の名前を挙げた。ボケの山内健司(40)が「この世で一番意味のない質問」に関して、「その格好、寒ない?」だと主張することから広がる、独特の漫才。たけしは山内を「本当に漫才とかそういう事しか考えていない奴」と表現し、「自分たちのスタイルを作り出しちゃったね、良いパターン作ったよな」と称えた。これまで見たものと異なる世界観を感じた様子で、「漫才のスタイルをちょっと変えたなっていうのは、かまいたちかな」と述べ、「すごい小さなところをつついて、あそこまで広げるのはたいしたもんだと思うよ」とした。濱家隆一(38)は、たけしの言葉に「さっき、褒めていただいて、めちゃくちゃうれしかったです」と喜んだ。

たけしは、コロナ禍における漫才にも言及。劇場などに入場制限が設けられていたことに触れ、「客が密集していなくて、間あけているんだけど。それに慣れたのか(今回出演した芸人は)何の違和感もなく、いいネタをやって。コロナ禍だからといって、ネタが沈んでいるわけでもないし、お客が盛り上がっていないわけでもないから良かったなって思う」と話していた。

「THE MANZAI2022マスターズ」

【超一流&王者大集結!漫才の祭典】
年に一度の漫才の祭典!超一流&王者が続々!かまいたち・サンドウィッチマン・タカアンドトシ・千鳥・中川家・博多華丸・大吉・爆笑問題・他…全23組の極上漫才

最高顧問ビートたけし&MCはナインティナイン!超人気漫才師・全23組が登場!アンタッチャブル、海原やすよ ともこ、かまいたち、銀シャリ、サンドウィッチマン、霜降り明星、タカアンドトシ、千鳥、テンダラー、中川家、錦鯉、NON STYLE、博多華丸・大吉、爆笑問題、パンクブーブー、マヂカルラブリー、ミキ、ミルクボーイ、笑い飯、他…

さらに、今年の“プレマスターズ勝ち抜き組”も気になるところ。『THE MANZAI 2022 プレマスターズ』の観覧投票で1位に選ばれた若手1組が、推薦枠としてマスターズに招待されるのだ。果たして、マスターズ行きの切符を手にするのはどのコンビなのか――。結果はマスターズの放送内で発表!

2022年の年末はこの番組を観ないと終われない!

「THE MANZAI2022マスターズ」の出演者

【最高顧問】
ビートたけし 
【MC】
ナインティナイン(岡村隆史、矢部浩之) 
【進行】
三田友梨佳(フジテレビアナウンサー) 

【マスターズ出場者】
アンタッチャブル、海原やすよ ともこ、おぎやはぎ、かまいたち、銀シャリ、サンドウィッチマン、霜降り明星、タカアンドトシ、千鳥、テンダラー、ナイツ、中川家、錦鯉、NON STYLE、博多華丸・大吉、爆笑問題、パンクブーブー、フットボールアワー、マヂカルラブリー、ミキ、ミルクボーイ、笑い飯、およびプレマスターズを勝ち抜いた1組 
※五十音順 

【プレマスターズ出場者】
からし蓮根、キュウ、シシガシラ、ストレッチーズ、男性ブランコ、TCクラクション、トム・ブラウン、ニッポンの社長、人間横丁、パンプキンポテトフライ、ビスケットブラザーズ、ヘンダーソン、ラパルフェ、隣人
※五十音順
 
 
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希空

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