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【動画】酒どうでしょうの見逃し配信無料視聴方法!再放送はある?

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【動画】酒どうでしょうの見逃し配信無料視聴方法!再放送はある?

TOKYO MXで放送されているバラエティ番組「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、それは動画配信サービス「U-NEXT」になるのではないかと思われます。

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それでは「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」について紹介していきたいと思います。

「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組内容ついてはこちらから

「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の概要

「水曜どうでしょう」のディレクター、藤村忠寿と嬉野雅道が、お酒をテーマにした北海道の旅をご提案。

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「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の出演者

「藤村忠寿」について

「藤村忠寿」は、日本のテレビディレクター、舞台俳優。北海道テレビ放送(HTB) コンテンツ事業室兼編成局クリエイティブフェロー。

愛知県出身。出生時は父の実家のある新城市に居住していた(産まれたのは名古屋市の病院)が、小学校途中から名古屋市中区千代田に転居し、母が喫茶店を営んでいた。名古屋市立表山小学校、名古屋市立御幸山中学校、名古屋市立向陽高等学校を卒業後、「(地元で進学・就職すると)自分の人生の先が全部見えちゃう感じが嫌」「地方でのんびり暮らせたらいい」という理由で地元を離れることを決め、北海道大学法学部に進学。中学から大学までラグビー部に所属しており(ポジションはフッカー)、ドラマ『相棒』などを手掛けるテレビ朝日プロデューサーの松本基弘は向陽高校ラグビー部の先輩に当たる。北大の4年生時代は主将を務めた。

4年次に卒業単位にわずかに足りずに1年留年することになるが、この時に北海道テレビ(HTB)に就職していたラグビー部の先輩の誘いを受け、報道部のカメラマン助手のアルバイトを1年半ほど務める。この時の経験から、「(仕事が)楽そうだな」と思ったのと元々テレビ好きだったのを機に、アルバイトの延長的にHTBの入社試験を受け、1990年4月にHTBに正社員として入社。元HTBアナウンサーの森田政仁、『ドラバラ鈴井の巣』元チーフディレクターの杉山順一は同期。入社後は報道部を希望していたが、東京支社編成業務部に配属され5年間勤務。東京時代の上司に、後に社長となる樋泉実がいた。

1995年、30歳の時に本社制作部に異動となり、『モザイクな夜』の制作チームに配属。何も知らない状態からテレビ番組の制作を担当していく(詳細後述)。翌1996年10月、『モザイクな夜V3』の後継番組として『水曜どうでしょう』を立ち上げ、チーフディレクターに就任。鈴井貴之・大泉洋及びカメラ担当ディレクターの嬉野雅道と共に過酷な旅を行い、地方ローカル番組としては異例の全国放送・DVD全国発売・インターネット放送・番組本、写真集発売等、様々な事業を展開するなど、同番組は大ヒットとなる。放送開始以降、レギュラー放送終了後も再放送(『どうでしょうリターンズ』『水曜どうでしょうClassic』 『水曜どうでしょうプレミア』)及びDVD販売に向けた再編集業務を手がけるとの理由から、基本的に同番組関連業務を専従で務めている。

2010年4月の人事で組織変更に伴い、HTBの製作部からコンテンツ事業室へ異動。事業室では番組制作に直接関わる部署では無いが、その後も嬉野と同様に『水曜どうでしょう』の番組制作に専従。また、自身が民放労連北海道テレビ労組のリーダーを務めていた関係で「基本的に会社に対して反抗的であったので役職付けとして昇進出来ない」と共演者である大泉に揶揄されている。

2014年から、劇団イナダ組と関わって以降、役者として舞台出演する機会が増えて行き、2015年6月に藤村源五郎一座を旗揚げし、読売テレビの西田二郎も参加している。

2016年4月1日付の人事で、HTBのコンテンツ事業室兼編成局クリエイティブフェローに就任。

2019年2月18日に嬉野と共にYouTube「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」を始める。

2019年10月1日付けで、母校・北海道大学の公共政策学連携研究部・教育部フェローに就任した(HTBのフェローと異なり、給料はない)。

2021年8月2日、WOWOW「電波少年W 〜あなたのテレビの記憶を集めた〜い!〜」に出演予定だったが新型コロナウイルスの陽性反応が判明し出演を見合わせ、翌日自身の公式サイトで公表した。その後、9月13日および9月20日放送の同番組で出演を果たしている。

受賞
第6回大山勝美賞(2020年)

会社員として
元々報道志望だったのは、本来バラエティ番組が好きだったものの、大きな予算を使って大掛かりな番組作りが出来ないローカル局で、「現場」として出来る最もリアルな仕事が報道だったからだとのこと。

東京支社では主にCMの価格を決める営業活動等のスポットデスク業務に携わり、仕事はデスクワークばかりで嫌だったが、この5年のおかげで視聴率を重視するテレビの仕組みを学んだ。

本社制作部では『モザイクな夜』の制作担当スタッフとなるが、構成作家・タレントのコネがなかったためVTRが制作できず、初めて制作したVTRは「藤村自身が股間にゾウのぬいぐるみをつけて出演して裸で踊る」というものであった。またテレビ番組制作に関する知識も皆無だったため、同番組では「2秒の音源を1秒にしろ」と音声担当に要求して「できるわけがない」と怒鳴られるなどの失敗を重ねながらも番組制作の経験を積んでいった。

HTBスペシャルドラマ『歓喜の歌』『ミエルヒ』『チャンネルはそのまま!』の監督などHTB全社を挙げて取り組むドラマの制作にも携わっている。『ミエルヒ』は、HTBの制作番組としては初めてギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、放送文化基金賞(番組部門テレビドラマ番組賞)等その年のドラマ賞を総なめにし、『チャンネルはそのまま!』は日本民間放送連盟賞テレビ部門グランプリ(ドラマとして史上初)を受賞するなどの業績を上げている。

前述の役者としての芝居活動やYouTube制作活動を会社から「出勤扱い」にされており、北海道には月に1週間しか滞在していないという。その一方で、番組制作に携わった当初から「ローカル局としての番組作り」を意識しており、故に東京進出(独立やキー局等への転籍)は考えておらず、「(東京のキー局と)真ん中で正々堂々と殴り合うよりも、後ろからコソッと近づいて、横から殴るほうが性に合っている」と述べている。特に、ネット配信が普及した昨今ではローカル局製作番組が全国で視聴可能になる仕組みが出来つつあることを念頭に「地方の番組だから、こうあるべき」みたいな意識を持たなくていいと思っているという。

『水曜どうでしょう』のチーフディレクターとして
『水曜どうでしょう』を立ち上げるにあたり「視聴率が取れる番組でないと意味がない」と考え、大物タレントを呼べるような予算もない中で「ローカル局が製作した番組と思われないこと」を意識するために、『進ぬ!電波少年』の手法を参考にして、無名のタレントを起用してハプニングを期待する旅企画などを思いついた。このとき、『モザイクな夜V3』に出演していた、当時北海学園大学の一学生であった大泉洋を抜擢したが、当初は「はっきり言って出演者は誰でもよかった」としつつ、大泉独特の喋りが編集のリズムを生み出し、「どうでしょう」のスタイルができあがっていったという。

『水曜どうでしょう』ではチーフディレクターとしての仕事の他、ナレーター(後述)や、あくまでロケに同行する「しょっちゅう見切れるディレクター」として半ば出演者同様に登場する。番組内で時折顔や全身が映ることがあるが、カメラ担当ディレクターの嬉野雅道が、彼を被写体として意識的に撮っている部分はほぼない模様。しかし、大泉始め他の出演者とのやりとりや特徴的な笑い声がファンのあいだで「ヒゲの笑い袋」として番組名物として語られるようになるなど、彼の声による「出演」はもはや同行スタッフの枠を超え、番組の出演者の一人として無くてはならない存在になっている。中でも「対決列島」では「チームびっくり人間」の大将として登場(ただし前述のとおり、基本的に顔は映らない)。「甘いものに目がない」「(食物を)噛まずに飲む」という自らの特質を活かし、大食い対決では甘い菓子類が苦手な鈴井を圧倒した。その一方、梅干し等の酸味の強い食材が苦手で、梅干しや柑橘類が大好物である鈴井に逆襲を食らったりもしている。

上記の「甘いものに目がない」という特質は「対決列島」が終了して以降もファンたちの間では長きに渡って強烈なインパクトを残し続けており、「どうでそうTV」内においても視聴者から「藤やんはあんな食生活で体悪くしてないの?」という質問が届いた事がある。これに対し藤村は同じく動画内で「俺は毎日対決列島してる訳じゃねぇ」「お酒が好きになったので今は甘いものは殆ど食べない」などと回答している。

番組のアラスカロケで大泉が描いた藤村・嬉野の似顔絵が現在も番組本編やグッズで登場、「藤やん犬」なる彼の似顔絵をした犬が公式サイトの竜宮城に居ついている。「水曜どうでしょう official website」では掲示板の運営管理者でもある。日記を記すときは宣伝を怠らない。どうでしょうグッズの考案にも熱心である。

テレビ番組制作に愛を持ち、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、『電波少年シリーズ』などをヒットさせた日本テレビの土屋敏男からも「(『水曜どうでしょう』のDVDに関する話題があがり、反響が多かったことから)この番組を作った人は、本当に愛されている」と称された。

一方、『saku saku』(テレビ神奈川)とは、ローカル局制作の人気番組同士(しかも『saku saku』は一時HTBで番組販売されていた)ということもあって何かと交流があり、何度か同番組に出演している。なお、同番組では諸事情により「じむ」の名で呼ばれることが多い(詳しくはsaku sakuの出演者、登場キャラクター#会話の話題に上がった人物を参照)。

藤村は、『水曜どうでしょう』で関わり続けている鈴井・大泉・嬉野との関係について、「たまたま同じ(ローカル番組という“小さな”)船に乗って、(全国区という)大海に漕ぎ出してしまった乗組員」と話している。数々の過酷なロケを共にし、濃密な人間関係を築いてはいるが、一方で互いは「親友」ではなく、「番組という『利害関係』で結ばれた4人」「もう抜け出すことはできないという、十字架を背負った関係であると思うのです。でもその十字架を、もう重いとは思っていません。むしろ『自分は、これさえ背負っていけばいいのだ』と清々しい気持ちでさえあります」と話している。また、視聴率を強く意識していた『水曜どうでしょう』についても、2019年には「新規(の視聴者)を増やそうと思ってないし、無理やり面白くしようとも思ってない。『どうでしょうをこれからも見たい』というお客さんの思いに応えることが一番」「(コンテンツとして大きくなりすぎて)もはや誰が何を言おうと、たとえ視聴率がどんなに悪かろうと、番組が終わることはもはやありえない」と視聴率を気にしない姿勢を述べている。

「嬉野雅道」について

「嬉野雅道」は、日本のテレビディレクター、プロデューサー、カメラマン、脚本家、文筆家。北海道テレビ放送(HTB)コンテンツ事業室所属(嘱託職)。

血液型はA型。かに座。身長は179cm。

1959年に佐賀県佐賀市の真言宗の寺に生まれる。実家の寺が巡礼者の宿坊を兼ねており、幼少期からご近所さんが手伝いに来る光景や、実家の布団部屋で一人遊びをするのが好きで、「人と交わりに行く気はないけど、うちのテリトリーに入って来てくれた人と交わるのに抵抗はない」という『傍観者』的な人格形成に影響を及ぼした。

高校を卒業後、東京の大学へ進学するが、高校3年生の時に床屋に言われた「お前の頭はいずれハゲる」という言葉が気になり始めたことをきっかけに様々なことを悩むうちに鬱状態に陥り、引きこもりとなり、大学を中途退学。7年半かけて悩むことに飽きたことをきっかけに、鬱を克服し、その後、医学映画を手がける映像プロダクションの求人を見つける。もともと映画好きで、黒澤明や小津安二郎に感銘を受けていたこともあり、求人に応募して映像の世界に入る。後に会社の環境に嫌気が差して会社を辞めるが、バブル景気だったこともありフリーの立場で企業のプロモーションビデオ監督や独立映画プロダクションの映画の助監督を手がける。

31歳の時、鍼灸師をしている6歳年下の女性と出会い結婚。元々妻が「30歳までに札幌で鍼灸院を開業するのが夢」と語っていたこともあり、1996年・36歳の時に妻が手頃な物件を札幌に見つけたことをきっかけに北海道に渡る。知人がHTBでの仕事を紹介してくれたことがきっかけで、HTBの子会社であるmiruca(エイチ・テー・ビー映像)のディレクターの職に就き、『水曜どうでしょう』の前身番組『モザイクな夜V3』を演出。これが彼にとって初のTV作品となる。その後、HTBの社員ディレクターで『モザイクな夜V3』のディレクター陣の一人でもある藤村忠寿と組み、1996年秋に鈴井貴之・大泉洋を起用した『水曜どうでしょう』を立ち上げ、サブディレクター兼ビデオカメラ担当となる。HTBで制作されたテレビドラマや舞台の脚本も執筆したことがある。

2010年4月1日付けでmirucaからHTBに移籍し、藤村と共にコンテンツ事業室に異動する事になった(公式日記で発表、経緯については後述)。2019年2月18日に藤村忠寿と共にYouTube「藤やんうれしーの水曜どうでそうTV」を始める。2019年7月7日には還暦を迎え、東京都の江戸川区総合文化センターで記念イベントを実施した。還暦に伴ってHTBを定年退職し、2020年現在は嘱託として同社に籍を置いている。

挿話
趣味はカメラ(スチルカメラ)と歴史。カメラ好きが高じて、ロケ中に自ら撮影した写真をまとめて『水曜どうでしょう写真集』として発売。写真家と撮影技師の両方の肩書きを持つカメラマンでもある。 結婚前に彼の妻がオートバイで日本一周したことがあるという話を聞き、新婚旅行を「オートバイで日本一周」にしてしまった。しかし、彼自身は自動二輪の免許を持っていないため、妻の運転の後ろに乗るタンデム(二人乗り)での日本一周であった(後に夫人がその旅の情景をバイク雑誌『ツーリングGOGO』に投稿し、数ヶ月間連載された)。

好きな食べ物はカレーライス。

自身の性格について「主体性がない」「油断すると働かなくなるタイプ」と考えており、自己主張の強いイケイケの人ばかりが集う映像業界で、自分みたいな控えめな人間はディレクターに向いてないと考えたこともあるという。一方で、北海道に渡るきっかけを作ってくれた妻や、『水曜どうでしょう』に関わるきっかけとなった藤村を引き合いに出し、「やりたいことが過剰にある人と一緒にいるほうが道は拓ける」とも考えているという。

公式サイトの名前である『嬉野珈琲店』は、HTBの機構改革に伴い2010年にHTBで制作部が廃止になった(藤村のコンテンツ事業室への異動と嬉野の転籍もこれが理由である)際、HTBの意図が理解できず、デスクに座り続けているのが嫌になって一時は退社も考えた嬉野が、HTB社内の会議室でカフェを始めたというエピソードに由来する。会社からカフェ営業を叱られたら一言言い返してやろうと思っていたが、そのまま放置されたあげくに(交代した)社長から「おまえコーヒーやってんだって?」と尋ねられるほどになってしまったという。公式サイトでは、実際にコーヒー豆の通信販売も行っている。

『水曜どうでしょう』のディレクターとして
『水曜どうでしょう』の旅企画にカメラマンとして参加することとなったのは、最初の「サイコロ1」を始めるきっかけとなったアン・ルイスの東京でのインタビューについて、アンの所属レコード会社が3人分だけ交通費などの経費を持つことになり、自分が置いていかれそうになって、藤村Dから「あんた(嬉野)が来るんだったらカメラやってもらうよ」といわれた際に「大学時代に自主制作映画を作ったことがあり、デジカムを回すことなら自信があるから任せろ」とカメラ役を買って出たことがきっかけである。その一方で、『どうでしょう』第1回の収録時、本番直前まで家庭用デジタルビデオの説明書を熟読しており、番組公式BBSでも「私は(ビデオ撮影に関して)素人」「(私には、YOSAKOIのような)鬼気迫る映像は撮れない」との発言をしている。

番組内ではカメラ撮影をするため口数が少ないが、カメラを回していないときは会話しており、おしゃべり好きである。大泉に企画がばれないよう、鈴井&藤村、大泉&嬉野のコンビでホテルに泊まることが多く、大泉は「嬉野Dと遅くまでおしゃべりすることが旅の楽しみ」と話している。

レギュラー放送後半になると出演者を撮影せずに風景ばかり撮影することも多くなった。これは、カメラを回したまま寝てしまい出演陣の会話をBGMにただただ車窓からの風景が撮れていた事があり、それを藤村Dが「これおもしろい」「意外とこっちのほうがいい」と多くカットに採用したことがきっかけとなっている。嬉野曰く「風景のなか声がしてくる方が緊張感なく見られる」とのことで、大泉洋も「車のなかでカメラを向けてほしくない、話しにくい」と語っているという。また、撮影では主に、ドラマや映画で用いられる、小津安二郎のロー・ポジションからのアングルを意識しているという。

番組グッズとして彼がロケ中に撮影した写真を収めた写真集を2冊刊行した。特に2003年発売の第2弾では膨大な写真データ(自身がカメラを回さない前枠・後枠(オープニング・エンディング)の撮影時に扮装している出演陣をカメラに収めた素材で、写真約4,500枚相当からまず1,500枚を選び、そこから更に600枚に絞り込んだ)を一枚一枚ネガから取り込んだり、印刷用紙に当時絶版となっていた「ミルトGA」(日清紡)を使うよう要望したりした。これを受けて、当時プロデューサーだった四宮康雅は実際に日清紡にかけあって(生産ロット全量引き取りを前提に)「ミルトGA」を再生産させている。なお、のちに日清紡は製品ラインアップに「ミルトGA」を復活させている(2009年の持株会社制移行、2017年の子会社譲渡に伴い、現在はダイオーペーパープロダクツが「ミルトGA・スピリット」として製造・販売)。

出演者陣の中で最年長であり、番組では「うれしー」、特に藤村Dから「(嬉野)先生」と呼ばれる一方、大泉洋からは「嬉野くん」と呼ばれる。

日本国内のカブ企画では前述のようにオートバイで日本一周したことがある妻がルートを考案したほか、原付ベトナム横断では妻とのツーリングを通じて得た、ニーグリップの技術を鈴井のカブの後ろに乗った際に駆使して撮影し、大泉がそれに驚いていたというエピソードがある。

2007年には、監督の高坂希太郎がどうでしょうファンであることと大泉が主演していることが縁で、OVA『茄子 スーツケースの渡り鳥』に藤村とともに声優として出演した。

2011年放送の「原付日本列島制覇」では、自身が病み上がりということもあって、デジカムの撮影は別のスタッフ(四国R-14や『ミエルヒ』のカメラも担当した鈴木武司)が行い、自身はフィルムカメラの撮影に徹し、会話もいつも以上に参加した。また「ヒラ・ディレクター」の表記はDVDで行われたのが最初で、対談本『腹を割って話した』において本人の希望により藤村に内緒で追加した、と明かしている)。

2016年に放送を開始した、onちゃんが道内各地を旅するHTBの小番組「巷のonちゃん」の題字及びナレーションを担当。

HTBのホームページ内において、藤村忠寿とのファンコミュニティ「藤やんとうれしー」が開設されている。

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「藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう」の放送内容

藤やん&うれしーの北海道旅 酒どうでしょう ★ほろ酔いグルメ旅でおトク情報も!
「水曜どうでしょう」のディレクター、藤村忠寿と嬉野雅道が、お酒をテーマにした北海道の旅をご提案。余市町のワイナリーと栗山町の酒蔵を訪れます。

「水曜どうでしょう」のディレクター、藤村忠寿と嬉野雅道が、お酒をテーマにした北海道の旅をご提案。余市町のワイナリーと栗山町の酒蔵を訪れます。
おトクな情報もご紹介します。

<取材先>オチガビワイナリー(余市町)/小林酒造(栗山町)

出演者
【出演】藤村忠寿、嬉野雅道
【ナレーション】森さやか(HTBアナウンサー)
 
 
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希空

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