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【動画】アッコにおまかせの見逃し配信を無料視聴!再放送は?

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【動画】アッコにおまかせの見逃し配信を無料視聴!再放送は?

TBSで放送されているバラエティ情報番組「アッコにおまかせ!」の見逃し配信を無料視聴する方法を紹介したいと思います。動画配信といえばTVer(ティーバー)やGYAO!(ギャオ)などが思い浮かびますが、無料動画配信はそれらのサービスが全てではありません。

今回ご紹介する「アッコにおまかせ!」の動画は現在配信されていませんが、今後配信されるとすれば、動画配信サービス「Paraviパラビ」になるのではないかと思われます。

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それでは「アッコにおまかせ!」について紹介していきたいと思います。

「アッコにおまかせ!」WBC侍ジャパン応援SP

アッコにおまかせ!【WBC侍ジャパン応援SP!準決勝突破のカギを杉谷拳士生解説】
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「アッコにおまかせ!」の出演者

和田アキ子
峰竜太

陣内智則
杉谷拳士
アインシュタイン(稲田直樹・河井ゆずる)
朝日奈央

宇内梨沙(TBSアナウンサー)

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「アッコにおまかせ!」の詳細

ここから、記事を全て読んでいただくのも嬉しい限りですが、記事が何分長いので、気になるところにジャンプ出来るように、それぞれのネタバレを項目ごとに用意しました!

気になる箇所へ飛んでみてくださいませ!

・番組情報についてはこちらから

・番組出演者はこちらから

・番組内容ついてはこちらから

「アッコにおまかせ!」の概要

「アッコにおまかせ!」は、TBS系列で1985年(昭和60年)10月6日から毎週日曜日の11:45 - 12:54(JST)に生放送されている日本の長寿バラエティ番組。総合司会を務める和田アキ子の冠番組で、民放の日曜12時台では唯一のネットワークセールス枠でもある。

番組開始前年の1984年10月7日、『ゆうYOUサンデー!』司会に和田アキ子と古舘伊知郎が就任。大沢悠里(当時TBSアナウンサー)の後任としての登場であったが、TBSの日曜正午台の長期視聴率低落傾向に歯止めをかけた。1985年4月に『アッコ 古舘のあっ!言っちゃった!』に改題。

前述の番組を更にリニューアルして『アッコにおまかせ!』として1985年10月6日に11:45 - 12:30の放送時間で開始。司会者は和田とキッチュ(松尾貴史)であり、前番組まで和田と司会を務めた古舘は1コーナーのみの出演となった。

放送開始から長らくは、生中継コーナーやゲストとのトークコーナー等で構成された生放送バラエティ番組として放送されていた。予告なしに特別ゲストが登場しスタジオが騒然とするなどハプニング性も取り入れた内容であった。

1986年4月、オープニングテーマを変更。CM入り時のSEも変更された。この年に和田が『NHK紅白歌合戦』に再出場して以降、2015年まで30年間、毎年11月中旬の放送で和田が紅白に出場が決定したことについて、共演者が「出場おめでとうございます」と和田を祝福する演出も恒例だった。同時に2015年まで紅白の特集コーナーも行っていた。

1986年10月、男性司会者が当時TBSアナウンサーだった生島ヒロシに交代された。尚、出演中の1989年3月に生島はTBSを退社し4月にフリーアナウンサーとなっている。

1987年10月、12:30 - 12:54に放送されていた『ロッテ 歌のアルバムNOW』の枠を吸収し、約70分間の大型番組となった。

1991年4月、和田とは当時ニッポン放送『アッコのいいかげんに1000回』で共演していた田中義剛に男性司会者が交代となった。オープニングに表示されるタイトルロゴがカラーとなり、それまでの白に黒枠からピンクに黒枠となる(ただしCM入り時の右下に表示するロゴのみは従来のまま)。1994年10月には、TBS社屋移転による放送機材更新のためCM入り時の右下タイトルロゴに関してもオープニングと同じカラーとなる。

1992年1月5日、「新春豪華版スペシャルアッコにおまかせ!」を放送。ゲストとしてタモリがゲストトークのコーナーに生出演した。

1993年10月、男性司会者が現在まで出演している峰竜太に交代された。

1994年10月、TBS本社建て替えに伴い、旧局舎Gスタジオからの放送を終了し、現在までのTBS現局舎Aスタジオからの放送へ移行した(ちなみに当番組アッコにおまかせ!がTBSテレビ自体における旧局舎からの一番最後の放送だったことを前日のオールスター感謝祭94超豪華!クイズ決定版この秋お待たせ特大号にて和田、峰の2人が説明している)

1998年10月、これまでの生中継主体だった番組内容を一新し、和田の毒舌を生かした「情報バラエティ」として大幅リニューアルした。ワイドショーさながらに芸能ネタや珍事件などをVTRやパネルで紹介する前半コーナー、中盤にはそれまで通りゲストとのトークを行うゲストトーク、そして主にクイズやゲームを行う後半コーナーという構成になった。これまでの番組の軸であった生中継コーナーが正式に廃止され、番組開始以来の大幅なリニューアルが実施された。

更に、12年半ぶりにオープニングテーマやCM入り時のSEも変更された。また、それまではエンディングテーマは無く、番組最後の「アッコにおまかせ!」コールの後にCM入りSEが流れ放送終了していたが、J-POP歌手の楽曲を数週替わりでエンディングテーマとして流すようになった。この影響で番組最後の「アッコにおまかせ!」コールの後のCM入りSEは流されなくなった。後に歌手のエンディングテーマが廃止され、オープニングテーマがエンディングでも流れるようになり現在までこの形態である。同時にそれまで長らく11:45丁度の本編開始だった当番組は、進行アナウンサーによる当日の内容紹介→CM後の本編開始となり、実質11:50に放送が開始されるようになった(この形態は2017年3月まで19年間続いた)。

2001年4月、番組開始以来のメインコーナーであったゲストトークを廃止し、ゲストの登場は原則不定期となった。番組は前半の情報コーナーと、後半のクイズ・ゲームコーナーのみとなった。

2004年4月、6年ぶりにオープニングテーマ、CM入り時のSEを変更。タイトルロゴも2代目となりリニューアルした。

2013年4月、オープニングテーマ、CM入り時のSE、番組セットが現行のものに変更された。

2014年4月以降、最長寿の生放送バラエティ番組となる。

2014年5月より、音声モードがモノラルからステレオとなる。

2015年10月に放送開始30周年を迎えた。

2015年12月27日、放送開始30周年記念として2時間拡大版「アッコにおまかせ! ~祝30周年!年末拡大版~」を放送。ゲストとしてビートたけしや所ジョージ等多数登場した。

2017年3月、クイズ・ゲームコーナー(後半コーナー)を廃止。番組は原則、1998年10月の大幅リニューアルで始まったVTR・パネルの情報コーナー(前半コーナー)のみとなった。また、これまでは数分に渡ってオープニングトークが行われていたが、これを機にオープニングが簡素化され初登場の準レギュラーが居ない場合は和田・峰が登場し「アッコにおまかせ!」コールをして直ぐにVTRコーナーに入るようになった。また、オープニングのタイトルロゴの表示も全面に表示されていたものが、左上に小さく表示されるのみになった。前述の通り、19年振りに11:45からの本編開始に変更。

2020年3月、第1回から本番組のスポンサーを務めてきた富士薬品が降板した。「30周年スペシャル」の際には、「『アッコにおまかせ!』放送開始以来30年変わっていないこと」として、富士薬品が答えとなるクイズが出題されていた。

2020年4月5日から2020年10月4日まで、12:54 - 13:00のミニ番組枠を吸収し、11:45 - 13:00枠での放送となった。

番組開始から2020年2月23日までの35年間は、新型コロナウィルス感染症が流行する前までは、スタジオに一般観覧者がおり、番組の盛り上げに一役買っていた。

2020年7月、2017年3月に廃止された後半コーナーが3年ぶりに復活。内容はかつてのようなクイズ・ゲームコーナーではなく、「○○がプレゼン!」と題した準レギュラーが仕切るパネルコーナーである。また、後半にロケVTRコーナーが新設された(2021年5月現在ロケVTRコーナーのみTVer・GyaO!にて月曜12:00より1週間限定の無料配信を実施している)。

2020年9月27日は、放送開始35周年記念として2時間拡大版「アッコにおまかせ! 祝35周年! 豪華拡大SP」を放送。ゲストとしてタモリが28年ぶりに生出演した。

2021年4月、画面上に表示される番組ロゴをマイナーチェンジ(スタジオセット内のロゴや番組サイトのロゴはこれまでのものと変わらず)。また、VTR中に和田を始めとした出演者を映すワイプのデザインも長らくピンクの枠のみだったものが、装飾が施されたものに変更された。番組初回から36年間、トークコーナーなどの一部コーナーを除いて出演者は立った状態で番組を進めていたが、この回からはMCの和田、進行の小林を除いて男性MCの峰、準レギュラー全員が着席した状態へと変更された(峰はOP、ED時のみ立った状態のまま)。

2021年10月、オープニングテーマが和田の楽曲「YONA YONA DANCE」に変更。ただし同年9月まで使用されていたオープニングテーマはEDやCM前、提供クレジットで使用されている。

以上の内容に加え、和田の所属事務所であるホリプロが主催するホリプロタレントスカウトキャラバン本選開催後にはグランプリ受賞者等が出演する。出場者募集期間中にはその告知も番組エンディングで行われる。

オープニングでMCの和田・峰が登場した後に、画面上には『今日も元気に生放送!アッコにおまかせ!です』あるいは『今日も元気に放送中!orお送りしますアッコにおまかせ!です』のテロップが表示されていた。2021年4月からは文言が『TBS Aスタジオより今日も明るく生放送!orお送りします!』に変更された。

「アッコにおまかせ!」の収録放送・放送休止・拡大版など

基本的に生放送だが、総合司会やレギュラーおよびスタッフの季節別夏季・冬季休暇や、和田のディナーショー・コンサートの準備などに配慮し、稀に収録で放送することがある。その際は、生放送を行った直後に翌週分の収録を行う。番組内では収録放送であることは原則として明言しないが、出演者があえて収録放送であることを匂わす発言をすることがある。その週の出来事を伝えるVTRコーナーが挿入されることがあるが、スタジオ部分は事前収録なのでそれに対する出演者のワイプやコメントはない。また、番組冒頭の和田の挨拶も通常は「今日も元気な生放送」と言っているのに対し、収録放送の場合は「今日も元気にお送りします」になる。

日曜日が年末年始の特別編成時にあたる場合や、「クイーンズ駅伝 in 宮城」(例年11月下旬)および「別府大分毎日マラソン」(RKB毎日放送・大分放送共同制作。毎年2月第1週)が行われる週は休止する。2007年までは「北京国際マラソン」(例年10月第1週)が行われた週も休止になったことがあった。また2011年からは、毎年最後の日曜日に大型報道特別番組『報道の日』を放送、世界陸上がアジア開催に限り時差によっては中継を優先するため休止となる。

2014年2月9日はソチオリンピックダイジェストを編成したため12:00 - 12:54に短縮の上生放送した。

2015年12月27日は、この年の『報道の日』放送が3日後の12月30日(水曜日)になったため、1時間拡大して13:54までの放送。「30周年スペシャル」として過去の番組出演者から吉村明宏と生島ヒロシはスタジオ、松尾貴史と田中義剛はVTRゲストで、さらにビートたけしと所ジョージをスタジオゲストに迎えて放送。『アッコジャンボ宝くじ』や『団地ジャンケン中継』の生中継コーナーが復活して行われた。2010年12月26日放送分以来、5年ぶりに最終日曜での放送となった。

2016年1回目の放送でレギュラー陣全員が小田急グループ・星野リゾート協力の下、事前収録のロケで高級旅館に泊まるスペシャルを放送したほか、1988年2月14日にはハワイから生中継で放送を行ったこともある。

2016年10月23日以降毎年10月の最終日曜は、「クイーンズ駅伝 in 宮城」の出場チームが決まる「プリンセス駅伝 in 宗像・福津」の中継のため休止となる。

2018年は『報道の日』編成の12月30日が日曜日になるため、2014年以来4年振りに最終日曜が休止になる。

2020年9月27日は、1時間拡大して13:54までの放送。「35周年スペシャル」として放送され、12:45頃までは通常通りの内容、それ以降は特別企画を放送した。同時間帯に放送されているTBSラジオ『爆笑問題の日曜サンデー』と一部同時生放送が行われ、爆笑問題と良原安美(TBSアナウンサー)が生放送中のTBSラジオ第8スタジオから中継で出演。さらに入院療養中の加山雄三から送られた手紙も紹介された。そして同日の放送にて「生放送バラエティ番組で同一司会者による放送年数の最長記録」として当番組がギネス世界記録に認定されたことを発表。『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)で「生放送バラエティ番組で同一司会者による放送回数の最多記録」を保持しているタモリが駆けつけ、特別企画『タモリにおまかせ!』と題してコーナーを放送した。

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「アッコにおまかせ!」の出演者

「和田アキ子」について

「和田アキ子」は、日本の歌手、タレント、司会者、女優、ラジオパーソナリティ。所属芸能事務所は株式会社ホリプロ。ユニバーサルミュージック所属。

在日韓国人として出生し、その後日本へ帰化。血液型O型。本名、飯塚 現子(いいづか あきこ)。旧姓、和田。帰化前の通名は、金海 福子。

愛称はアッコ(さん・ちゃん)、アコ(さん・ちゃん)、ゴッド姉(さん・ちゃん)。

幼少期
天王寺区にある大阪市立真田山小学校を卒業後、私立城星学園中学校へ入学。そのまま私立城星学園高校に進学するも父親が勝手に退学届けを出したため、在学期間はわずか2、3日間で中途退学となった。

小学5年生の頃に洋楽に憧れ、15歳の頃からジャズ喫茶やゴーゴークラブで歌い始める。174cm(デビュー当時)の長身から発せられるパワフルな歌声は評判を呼び、ホリプロ(当時:ホリプロダクション)社長・堀威夫直々にスカウトされる。当時はグランプリズ(夏夕介が在籍)というバンドを組み、大阪と神戸三宮で活動していたが実際にデビューできたのはボーカルの和田とオルガンの夏のみであった。芸名の「アキ子」の「アキ」がカタカナなのは、本名の「現子」が普通に読めないため、当時のホリプロの社長が付けた。本名は当て字である。

芸能活動
デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。

1968年(昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。

1969年4月25日(昭和44年)、2枚目のレコード「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のスマッシュヒットを記録する。

1970年(昭和45年)、20歳になり『女番長・野良猫ロック』(日活)で映画初主演を果たす。また、「笑って許して」でNHK『第21回NHK紅白歌合戦』に出場し、『NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。以後、1978年(昭和53年)まで連続出場。

1972年(昭和47年)、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。

1973年(昭和48年)から日本テレビ『金曜10時!うわさのチャンネル!!』に出演。番組内で「ゴッド姉ちゃん」と呼ばれ、せんだみつお、湯原昌幸、ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まった。姐御肌のキャラクターや、女性としては高い身長、靴のサイズの大きさ (27cm) などによる。1979年(昭和54年)、「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌ったことや、『翔べ! 必殺うらごろし』(朝日放送製作、テレビ朝日系列へネット)への出演などがあり、歌手活動とテレビ番組出演との両立が困難になったことから、歌手に専念したいとの意向で、日本テレビへ強引に降板を申し入れた。これにより番組は打ち切りになった。この一件が原因で、以後2年間和田は日本テレビへの出入りが禁止されるなど両者は折り合いが悪くなった(後に和解)。この時、レギュラー出演していたバラエティ番組を全て降板した。

1985年(昭和60年)からTBS『アッコにおまかせ!』の司会を担当。

1986年(昭和61年)、紅白に1978年(昭和53年)以来8年ぶりに出場。以後、2015年まで連続出場。

1987年、1991年、1995年、1998年、1999年、2001年、2008年には紅組トリを務めた(紅組トリ7回は石川さゆりに次ぐ現役歌手2位。全体では美空ひばりの13回に次ぐ3位)。
1987年、1988年、1997年と合計3回紅組司会も担当、1987年の『第38回NHK紅白歌合戦』では「抱擁」で紅組トリを務めており、組司会とトリの兼任となった。なお、1970年代より幾度も紅組司会の候補に挙がっていた。また、山川静夫以来2人目且つ女性では史上初の昭和と平成の紅白で双方司会経験者でもある。
1987年度(昭和62年度)の日本女性放送者懇談会賞を受賞した。

1998年(平成10年)、『第49回NHK紅白歌合戦』で「今あなたにうたいたい」を歌い、自身初の紅白の大トリを務める。抜群の声量を生かし、曲の途中ではハンドマイクを使わずに歌うパフォーマンスを見せ、観客席から大拍手が起こった。

2005年(平成17年)7月13日付のオリコンチャートでm-floとのコラボレーション作品「Hey!」が初登場9位を記録し、自身33年ぶりとなるTOP10入りを果たす。同年、自身初となる白組での紅白出場。

2008年(平成20年)、競艇(日本モーターボート競走会)のイメージキャラクターとなる。同年9月29日にはデビュー40周年記念として、ニューヨークのアポロ・シアターで、日本人・東洋人のソロ歌手としては初となる単独公演「40th Anniversary Concert "Power&Soul"」を行った。

2012年(平成24年)、『第63回NHK紅白歌合戦』に出場し、女性歌手として島倉千代子を抜いて単独で歴代最多出場歌手(36回)となる。その後も2015年(平成27年)『第66回NHK紅白歌合戦』まで30年連続出場(通算39回)を果たした。通算39回出場は当時の女性歌手の最多出場記録となっていた。

2021年(令和3年)4月より、所属レーベルをこれまでのテイチクエンタテインメント / ユニオンレコードからユニバーサルミュージックに完全移籍。年内に新作のオリジナルアルバムを発売予定であることも発表された。

実業家
2007年(平成19年)4月10日、東京・西麻布に和食屋「わだ家」をオープン。後に東京と大阪を中心に6店舗が展開。和田は監修という立場で、経営は夫の会社である株式会社エー・アンド・ケイが行っている。1980年代には美容院を経営していた。

出身
大阪府大阪市天王寺区舟橋町。朝鮮系日本人であり、帰化時の官報では1949年(昭和24年)生まれとなっている。使用言語は、大阪弁を中心とした関西弁であり、標準語を使用することもある。

済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、当時の本名は金福子、通名は金海福子だった。4人兄弟の長女で、下に3人の弟がいる。父は柔道の師範で大阪環状線鶴橋駅の近所にある自宅で柔道場「金海道場」を開き、母は乾物屋を営んでいた。

芸能界デビュー時に、在日韓国人だと分かる名前をまずいと思った父親が、既に帰化していた和田の叔父の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」となり、本人も日本に帰化した。

『週刊文春』のインタビューで、「『自分は日本人ではない』と知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っている。

デビュー前・当初
初期に、会社が「R&B歌手なので世界に通用するような洋モノの名前がいい」ということから芸名が「マーガレット和田」になりかけたが、名前とイメージが合わず結局本名からとって「和田アキ子」でデビューすることとなった。

デビュー当初は長身かつ大柄な体格・低音の効いた声が原因で、横柄な態度を取っていないにもかかわらず先輩歌手から「態度がでかい」等といじめられる。他にも数え切れない理不尽・陰湿ないじめ(メイク改造論、花束が菊の花、靴に男女と書かれる等)に遭い「私が一人前になったら、そういうことはしないようにしよう」と誓う。

一緒に飲みに行った芸能人がテレビ番組などで、夜中に電話で呼び出される・毎晩飲みに誘われる・朝まで説教された・酒を飲んで暴れるというエピソードをよく語るが、和田は「若い時はいざ知らず現在はそんな体力はない」「虚像の“和田アキ子”のイメージばかりが先行する。」と否定しながらも、「それが、“和田アキ子”のイメージならそれでいい。酒飲まない、暴れない、説教しない“和田アキ子”なんて“和田アキ子”じゃない。」と語っている。

活動の初期に二、三の映画に主演、準主演しているが、現場の印象が非常に良くなかったため、長らく日本映画界とは距離を置いている。その後はごくまれにゲスト出演する程度であり、旺盛な芸能活動の中では映画の比率は無に等しい。テレビドラマへの出演も、滅多に無い。

人物
父親は柔道の道場を開いており、和田の持ち前の大きな体もあり、中学1年生の頃すでに柔道初段だった。 父親は礼儀作法・しつけに厳しく、全てのことは男性優先で男尊女卑、父の前では正座・敬語を使わなければいけないなどの厳しい家庭環境で、まだ小学生だった和田を殴りつけるなど、たびたび鉄拳制裁・暴力を加えられることもあった。この父を憎んで反発し、中学2年生の頃には不良番長として子分を従えて歩き、飲酒・喫煙を繰り返し、大阪ミナミの繁華街を縄張りにし「ミナミのアコ」と呼ばれ恐れられていた。ジャズ喫茶で歌っていたところを、当時は弱小音楽事務所だったホリプロダクション(現:ホリプロ)社長の堀威夫にスカウトされ上京し、1968年に歌手デビュー。

1972年(昭和47年)12月31日、「あの鐘を鳴らすのはあなた」で「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞」を受賞。

1975年(昭和50年)、マチャアキのガンバレ9時まで!!(日本テレビ)の収録のために中野サンプラザに居た際に楽屋泥棒を捕まえ「警視総監表彰」を受け、当時の大手新聞各紙で大いに報じられた]が、新聞紙面にて年齢が公表された件で事務所がデビュー時に決めたプロフィールとズレが生じ、以降プロフィールは訂正された。

中央競馬と地方競馬の馬主資格を持っており、所有馬には「ルンバデブンブン」や「ダイナマイトソウル」等、自身の曲・アルバムのタイトルに因んだ名前を付けている。2004年(平成16年)11月28日には歌手として、東京競馬場で行われたジャパンカップのレース発走前に『君が代』を独唱し、同レースの優勝プレゼンターを務めた。

32歳の時に子宮癌により子宮を摘出している。この時は子供が出来なくなったショックで、神様を呪ったとのこと。化粧や嘘泣きができるので、女として産まれて良かったと思っていると語っている。

和田が「どんぐりカット」と呼んでいる独特の髪型は、ライザ・ミネリの髪形を真似たものである。1976年頃にのどのポリープ手術で入院する際、入浴に制限があるため手入れがいらない髪形を探していたところ、たまたまライザ・ミネリの写真を見て気に入り、それを和田に似合うようにアレンジした。

2007年、2008年、2010年と大腸ポリープの手術を受けていることを明らかにしている。2010年に至っては8個のポリープを除去するために2回入院したと語っている。

2008年(平成20年)3月3日、読売テレビ・日本テレビ系で放送のアニメ『ヤッターマン』中、大河原邦男のデザインによる和田をモデルにした三悪(ドロンボー)側メカ「ワダアッコー」とヤッターマン側ビックリドッキリメカ(ゾロメカ)「オマカセメカ」が登場。両機は自身の2008年(平成20年)4月23日発売のアルバムCD『わだ家』のジャケットの表紙に採用された。

2000年2月3日、節分の豆を買いに外出したところ、自宅近くの交差点でライトバンにはねられ右足骨折で数週間入院。当時の東京スポーツの記事の見出しには、事実とは逆に「車が大破!」と書かれていた。

ホリプロの在籍期間は、女性タレントでは最長。全体では守屋浩に次いで長い。

本人曰く「ものまねは瀬川瑛子さんしかできない」と話す。

自身はプロ野球にはあまり詳しくないが、夫の飯塚、弟、現在のマネジャーは読売ジャイアンツファンであり、2015年の読売ジャイアンツ開幕戦(東京ドーム)では巨人カラーのオレンジのラインを入れた衣装で国歌斉唱を行った。

2014年6月、「夢は『いつも旬でありたい』ということ。でも、歌手という自負がなくなったらやめる」と自身の引退について語った。その上で「ドレスが唯一似合ってると思っているし。第2の和田アキ子はいないと思う。(体が)大きくなきゃだめだし、声もハイトーンではだめ。一代で終わるとしたら和田アキ子を全うしたい。まだまだやりたいこといっぱいある。頑張りたい」とも語り、引退はまだ先であることも仄めかした。なお、引退については幾度も考えたことがあるとのこと。

2016年8月20日放送のフジテレビ『ミュージックフェア』で「Pokémon GOにはまっている」と発言した。

できちゃった婚には否定的な考えである。

和田のことをモノマネをするときによく歌われる『古い日記』の歌詞に出てくる、「ハッ!」という掛け声はスティービー・ワンダーを意識したものである。

長く活躍していることもあり、知名度も高い。2020年7月22日に放送された『水曜日のダウンタウン』の「古今東西 日本人知名度ランキング」では、第6位 (94.0%) にランクインした。これは女性では第2位であり、男女関係なく歌手としてはトップである。

喫煙歴と禁煙
かつてはヘビースモーカーで、不良になり始めた中学生の頃から煙草を吸っており、成人式の際の記者会見では冗談交じりに禁煙・禁酒を宣言したこともあった。禁煙に成功する前は一日3箱、特に麻雀をやっていた時は1カートン(200本)は吸っていた。以前から何度も禁煙を試みるも失敗し、一時期禁煙に成功するも数年後に喫煙を再開。しかし2007年7月に『アッコにおまかせ!』の企画で出川哲朗・松村邦洋らと人間ドックを受けたところ「肺気腫の疑い」との診断を受け、翌年、9月に念願のニューヨーク、アポロ・シアターでの単独コンサートを控えていたことから精密検査を受け、「慢性中等度閉塞性呼吸不全」(中程度の慢性閉塞性肺疾患〔COPD〕)との診断を受ける。この際、医師から「完全な肺気腫で、(このままの生活を続ければ)将来的に歌が歌えなくなる」と“歌手生命の危機”を告げられる。その後、盆休みでロンドンに滞在していた時心臓発作を起こしたこと(これも喫煙が原因で、血管の石灰化を起こしていた)、姪やイチローをはじめとする周囲の友人、アッコファミリーからの説得、そしてカンニング竹山からの愛のこもった強い説得が決定打となり、2008年(平成20年)8月25日から周りのサポートを得ながら禁煙を開始し、2009年(平成21年)1月1日に完全禁煙を宣言。2009年(平成21年)8月に禁煙1周年を迎えた。こうした経験から2011年5月には「COPD広報大使」に任命されている。

性格
動物が苦手で、特に犬や蛇などの爬虫類が大の苦手。

前述の理由から子供を産むことができなかったため、大の子供好きである。

デビュー前、地元大阪では女番長(当時の類語としてズベ公、スケバン)として名を馳せていたものの、唯一沢田研二(正義感が人一倍強く、血気盛んだった)にだけは頭が上がらず、睨まれ縮こまってしまったほどである。

毒舌で体が大きく、また酒豪で暴力をふるう・喧嘩っ早いというイメージが強いが、その一方寂しがりや・恐がりで家事好き、意外に繊細な泣き虫である。可愛がっている芸能人を自宅に招待して酒を飲みつつ手料理を振る舞ったり、自宅に泊めたりしている。また昔から仲間うちで集まり酔って大騒ぎ・悪ふざけ・無茶ぶりをすることもあり、若い頃は泥酔して何も覚えていないこともしばしばあった。これが和田にまつわる酒席での数々の恐怖のエピソードとなる。一方、前述の通りの家庭環境や山岡久乃との関係から礼儀作法や不義理、また遅刻・番組収録時間の押しには厳しいが、身内に対しては甘いきらいがあり、特に非常に可愛がっていた芸能人の不祥事に関しては触れたがらなかったり言葉を濁したりすることも多い。ただし犯罪を犯したり反社会勢力との交際の疑いで引退した芸能人については、身内であっても一切の連絡を絶つことにしており、年賀状のやり取りすらも行っていない。

あがり症で、コンサート・音楽番組に出演する際は過剰に緊張してしまい、本人いわく「心臓は止まりそうだし冷や汗は出るし、背中はびっちょりだし脇の下もびっちょり」で、カンニングペーパーがあっても1番の歌詞を何度も歌ってしまうこともよくある。また紅白歌合戦では、ステージ袖では毎回緊張のあまり手が震えて水を飲むのもやっととのこと。その一方で、バラエティ番組では基本的に一切あがらない。また楽曲のレコーディングでは、誰かの視線を感じると緊張でベストコンディションで歌えなくなってしまうため、誰からも覗かれないようにカーテンを閉め切り、真っ暗な中で譜面台の明かりだけをつけてレコーディングを行う。

本人が事実と認めている伝説の一つに「CDが登場したばかりの頃、CDのケースを拳で割って開けていた」というものがある。本人曰く「CDケースの開け方がわからず、てっきり壊して取り出すものだと思っていた」「拳で割っていたのは最初だけで、痛いのでその後はハサミの柄などで割っていた」とのこと。

歌手として
タレントとしてよりも歌手としての和田については評価される傾向があり、親交のあるカンニング竹山は和田の歌唱力をエラ・フィッツジェラルドに例えている。レイ・チャールズの影響を公言し、初期の公演実況録音盤では、ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ、チェイスなどカバー曲をステージレパートリーにしていたことが知られている。映画やテレビ出演々技とは一方で楽曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」の成功から、独特な合いの手、シャウト(アー!、Come on !ハッシッシッシ…、など)和田の個性的な歌唱上の特徴を控えたもので1973年から放映NHK教育の人形劇「プルルくん」主題曲担当など、児童の合唱曲模範になる録音を残している。

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「アッコにおまかせ!」の放送内容

「アッコにおまかせ!」の主なコーナー

オープニング
オープニングテーマ曲が流れスタジオに和田と峰が登場、和田の「はーい! どうもこんにちは! ようこそいらっしゃいました! 今日も元気な生放送! 『アッコにおまかせ!』」(1985年から1998年までと2020年からは、毎週異なる言い回しの後に『アッコにおまかせ!』)とピースサインを出して始まる。2017年3月までは数分のトークが行われていたが、以降は直ぐにVTRコーナーとなる。

おまかせ!ニュースランキングTOP10(1998年10月4日 - )
普通の芸能情報に加え、他局(いわゆる他所)ではやらないB級ニュース(いわゆる三面記事)、そして『おまかせ』独自で取材したインタビュー内容などを紹介している。かつては次のコーナーが始まるまでCMを挟まなかったが、2017年3月の放送より途中でCMを挟むようになった。

VTR内で紹介される芸能人は放送時点での年齢も合わせて読み上げられる。
VTR中は、和田ら出演者の表情が「ワイプ」で映し出されている。

2012年7月8日までは「芸能&ニュース どばっと1週間」、その後も「おまかせ!エンタメ 今週の10人」、「週刊おまかせ!芸能」とタイトルを変えて現在のタイトルになった。

おまかせ!トピックス(1998年10月4日 - )
VTRの中から数本ニュースを選び紹介。スタジオの中に大きなパネルが運ばれ、進行アナ(2014年9月までは安東、2019年9月までは国山、2021年6月までは小林、以降は週替わり)が「めくり」(マスキング)をはがしながらニュースを『おまかせ!』独自の視点によって紹介していく。芸能ニュースが中心で、あまり深刻な内容のものは取り上げないことがほとんどであったが、後半のクイズ・ゲームコーナーが廃止された後はそのような話題も取り扱われるようになった。

このコーナーでは和田の毒舌が生かされる。内容があまりにも瑣末なものについては本番中、和田が苦言を呈することもある。
進行アナが「めくり」をめくる前に和田が内容を言ってしまう場合も多く、それを勝俣州和や出川哲朗らに指摘されて恐縮するなど、主従逆転するところが見どころとなっている。

2017年3月下旬から、「おまかせ!ニュースランキングTOP10」とこのコーナーの前半コーナー一本のみになり、長年にわたり行われていた後半のクイズ・ゲームコーナーは廃止になった。以降、一つの内容に「めくり」が増えて、和田のコメントや準レギュラー出演者の発言、質問などで時間が長引くことが多くなり、そのため、一部の「めくり」が剥がされないまま次の話題に進んだり、終了したりする場合もある。しかし2020年7月から、後半コーナーは「○○がプレゼン!」で3年ぶりに復活された(しかし内容はクイズ・ゲームコーナーではなく、後述のようにパネルを使った「めくり」コーナーである)。

○○がプレゼン!(2020年7月12日 - )
○○にはコーナーを仕切る準レギュラーの名前が入る。進行アナが仕切る「おまかせ!トピックス」では比較的硬派であったり時事的なニュースを扱ったりするが、準レギュラーが仕切り、一転してほのぼのとした明るい話題や面白おかしい話題を「おまかせ!トピックス」と同じパネルを使用して行う「めくり」のコーナー。一部の回では、このコーナー内でクイズ・ゲーム企画を行うこともある。

2021年4月頃からは、準レギュラーと交代せずに「ガラッと話題を変えまして」等と言い進行アナが引き続き進行する場合が多い。

ロケVTRコーナー(開始時期不明)
準レギュラーのいずれかがロケをしたものや、小林やスタッフ等がゲストに取材をしたものなど毎回異なるVTRを放送。
このコーナー部分のみTVer・GYAO!で見逃し配信がされる(但し、和田を始めとするスタジオのワイプや音声は配信されない)。

エンディングトーク
終盤、和田などの出演者がトークする。ここで出演者の告知・番宣が行われる場合もある。その後はエンドロールが流れ、和田の「せーの」に続いて、和田・峰の「アッコに」を号令に全員でピースサインをしながら「おまかせ!」とコールして番組は終了する。

「アッコにおまかせ!」キスマイ横尾渉結婚

アッコにおまかせ!【アンガ田中結婚・寒波・強盗事件など今週のニュースを一気見!】
新田真剣佑・真栄田郷敦・キスマイ横尾渉も結婚▼デヴィ夫人がウクライナ電撃訪問…理由は?▼はま寿司で迷惑行為…罪はどうなる?▼相次ぐ強盗事件…身を守るポイントは?

▼おまかせニュースランキングVTR
▼巨大パネルコーナー
▼おまかせ!コレキテル!?
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希空

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